皆さま、こんにちは。
梅雨の末期に差し掛かろうかと言うこの時期に、各地での大雨の被害が深刻ですね。
被災された方々にはお見舞い申し上げます。
さて、表題にあるように今年はお別れが続いています。
前回のブログで主人の祖母が107歳で天寿を全うしたことを書きましたが、1月には母方の伯父が、そして先月は父方の伯父が旅立ちました。
父方の伯父は住職と高校の校長を務め上げ、叙勲を賜ったほど人です。
見た目は信楽のたぬきを思わせる風貌で、いつも庫裡に行くと「よう来たな。ゆっくりしていけよ。」と眼鏡の奥から優しく笑ってくれる伯父でした。
父の実家、すなわち私の祖父母宅はお寺だったので、幼い頃からおばあちゃん家に行くと言うのはお寺に行くことでした。
私自身、信心がなくカトリックの学校に通っていましたが💦
実は主人の祖父母宅も宗派は違えど偶然にもお寺なんです。
義祖父母の葬儀の際は娘が小さくて正直あまり覚えていません。
ただ、うちより遥かに大きなお寺なので、偉い僧侶の方が凄かったことは印象に残っています。
もっとその前私の祖父の時も参列した記憶しかありませんし、祖母の時は留学中で参列できませんでした。
今回の伯父の葬儀は伯父の遺言に則って行われ、やはり僧侶の数も多かったです。
最近のコンパクトな葬儀だと1人のところが多いのではないでしょうか?
そこはやはりお寺ですね。
導師様が3名と十数人の僧侶の方々がいらっしゃいました。
中心の導師様が読経されるのですが、そのお声が素晴らしいんです!
僧侶というのは読経するために修行されると思いますが、お経は音楽なんですね。
経本には音の高さを記すための印が付いています。
でもこれ、音痴な人には難しいのでは?
私は不謹慎にも聴いている間、聴音してしまいました💦
中心の導師様の読経に合わせて他の導師様や僧侶もお経を唱えます。
それは下手な合唱団よりも見事です!
でもその中に若干音程の違う方がいたのをこっそり見抜いてしまった私(笑)
クラシック音楽史にはヨーロッパ各地で歌われた教会音楽グレゴリオ聖歌があります。
そこから記譜法が生まれ、今日に至るわけですが、祈りと言う点では日本の宗教仏教も同じなんですよね。
作曲法、和声法が違うだけなんですね。
西洋ではそこから音楽が生まれましたが、日本の現代の音楽は西洋の作曲法で作られているので、お経から発展したものが生かされていないのは残念でもありますね。
私が知らないだけかもしれませんが💦
もちろん声明というものはあります。
それはお経をそのまま音楽にしたもので、宗派によっては有名でYouTubeでも発信されていますね。
宗教と音楽、これは一体だと言えます。
国は違えど万国共通で、祈りに声は欠かせません。
心の声と言いますよね。
言葉に出さずとも声は聴くもの、届けるもの、伝えるもの、祈るものですね。
伯父の葬儀はそういう意味で私のある感覚に気付かせてくれました。
そして私は守られているのだと改めて感じました。
お寺には観音様や阿弥陀如来様、龍神様や鳳凰様が至る所にいらっしゃいます。
何気なく入っていた本堂にも沢山いらっしゃいます。
私がこのお寺の子孫として生まれたことに感謝しなければいけませんね。
ご先祖様に感謝ですね。
もちろん、この時代お寺の存続には問題が問題が山積しています。
今は私の従兄弟が18代目として後を継いで住職をしていますが、彼の重責を考えると大変だとつくづく思います。
最後に、霊柩車も伯父の遺言で今は殆ど見なくなった、龍神様が上に乗ったものでした。
それはそれは見事で、県内には2台しかないそうです。
あまり喜ばしいことではありませんが、お経を聴く時、祈りの声だと、音楽だと思ってみて下さい。
少し聴き方が変わるかもしれません。
今日もお付き合い頂き、ありがとうございました。
今日はこの辺で・・・

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