皆さま、こんばんは。
もう9月も1/3を過ぎました。
虫の音が残暑を紛らわせてくれますね。

しばらく書いていなかった学生時代の話に戻ります。
大学院の入試は1次2次とありました。
何人受験したのか定かではありませんが、オペラ研究室に合格したのは最終的に同期から4人だけでした。歌曲研究室には同期から1人と1学年上から1人の2人だけでした。1学年上はオペラ科でも7人歌曲科で4人いましたから、少ないですね。
ただ、私たち4人の他に中国からの留学生が1名いました。


受験では実技試験と面接のほか、小論文もあったかしら?記憶にないですね。
面接の前に課題を出されてパントマイムのテストがありました。それだけは覚えています。

確か・・・
ある女性が彼氏が家に来るのを待っている。しかし一向に来ない上、電話もない。部屋の中でイライラと不安が募る。約束の時間から随分遅れてやって来る。
簡単にこんな内容だったと思います。
当時はポケベルだけで、携帯など無い時代ですから家電だけが唯一の手段でした。

これをパントマイムで表現するのですが、その後の面接である教授に気性の激しい女性ですね、と言われたことだけ覚えています。椅子に立ったり座ったり、パラパラ雑誌をめくる動作をしたと思います。演技のレッスンなんて全くしたことがないですからひどいものだったに違いありません。
ただ、当時の演出家の先生が宝塚でも演出されていた菅沼潤先生でしたから、かつて宝塚ファンの私には雲の上の存在で、その先生が目の前で見ていらっしゃるのですから、精一杯演技しましたよ!

その後の面接ではどんな舞台人になりたいかと質問の1つにありました。
その頃はマリアカラスが好きで、彼女の本を読んで、目で演技できる人になりたいと答えたのははっきり覚えています。舞台に立つ人間は客席の後方からでも目が輝いている、と自叙伝の中で読んだ時衝撃的だったからです。歌もさることながら、放つオーラは目にまで現れるのだと若き22歳の心に刻まれました。

そうやって受験が終わり、合格発表はA館ロビーでした。
私は卒業試験で5番の成績でしたから、正直言って周りの人はおろか当の本人ですら合格するなんて思ってもみませんでした。2番の人以外卒業演奏会出演者は受験していたと思います。大学の成績もあったのでしょう。結果合格したのは3番と5番の私のほかは男性でした。男2人女2人+留学生。
これが波乱の始まりか青春の始まりか・・・
編入組からしかも音楽専攻からの編入としては快挙だったのではないでしょうか?(自分で言う?)
1番と3番の友人が何故落ちたのか、それには様々な憶測が飛び交いました。「蝶々夫人」を歌ったからだとか、ドイツ語の成績を落としたからだとか・・・きっと私のことも色々噂されたことでしょう。
人生って分かりません。今やそのうちの一人は関西を代表するプリマドンナです!彼女は専攻科に進んだ後大学院に1年遅れで入学し、私の後輩となったわけです。神様が彼女に与えた試練だったのでしょう。それを乗り越え押しも押されぬプリマドンナになったことは同期の誇りです。
私はと言うと・・・

今日はこの辺で・・・つづく