皆さま、こんにちは。
またまた開いてしまいました。

まだ続きがあるのか、と言うOh!Ba×3旅ですが、あるんです!
ここからがメインではないかと思うほどです。

3日目の別府は朝から雨がしとしとと降っていて、起きた時は別府の湯けむりの街が見えました。
最初はもやかと思っていましたが、よく見るとホテルや旅館から立ち上がる湯けむりで、それは情緒が感じられました。

朝食会場テラスダイニングはすでに人でいっぱい。
混む時間を避けたら、皆同じく避けていて、避ける必要はなかった(笑)
朝から豪華なビュッフェが並び、お腹いっぱい。
ホテルの朝食ってほんと食べ過ぎますよね💦
腹ごなしに館内を散策しているとゲームコーナーに一人用の卓球ゲームが!
実はうちの両親、食後に卓球をやっているんです。
コロナで家から出られない時に主人が家用におもちゃの卓球セットを買って来たんです。
それを実家に持って行くと、すっかり両親がハマってしまい、食卓を卓球台代わりに運動がてら始めると、日課になり母は卓球教室にまで通うように。
父の病気で中断したこともありましたが、また点数を付けて二人で楽しんでいるようです。
それで、母一人そのゲームをしたいと張り切って遊んでしました。
でもまだまだお腹がいっぱい

これが仇となり、私が食べたくてお友だちにまで聞いていた関サバが結局食べられず仕舞い💦
半分予想はしていたので予約せず正解!

さぁ、いざ出発して向かうは地獄めぐり。
取り敢えず共通券は買わずに海地獄だけ。
晴れていたらコバルトブルーの海地獄ももっと驚きを伴うのでしょうが、何せ雨で傘が邪魔になり、そうすると3姉妹は段々億劫になってくるようです。
写真を撮るのにも傘を置いて撮らなければ海地獄が写りませんからね。
でもここのお土産ショップで欲しかったものが買えました。

それは、長久堂のざびえるです。一度破綻して、元従業員さんたちが再建したお菓子です。
大分と言えば私にとって長久堂のざびえるでした。
和菓子のようで洋風なお菓子と、その外箱が紙の箱ではなくビロード風で素敵なんです!
ザビエルないかなと母と話していると、一人のおばさまがここで買えるらしいですよと声を掛けてくださり、沢山の新しいお土産品に混ざってざびえると瑠異沙が!
長久堂にはもう一つ瑠異沙と言うお菓子もあり、やはり和洋折衷のお菓子で美味しく、これは子ども心に紫色のパッケージに惹かれたものです。
糖質の取りすぎも良くないと(笑)、今回はざびえるだけを購入。
思い出の味で、やっぱり美味しい!

話が長くなってきました。
備忘録でもあるのでもうしばらくお付き合いを!

欲しかったざびえるを買えると、もう3姉妹は地獄めぐりなんてどうでもよくなってしまいました。
これからどうする?となった時、3姉妹は大分市内に戻って自分たちの生まれ育った家を見たいと言い出しました。
家ってとっくの昔にないんですよ!
両親が早く亡くなったこともあり、手放して引っ越ししているのですが、街の中心部にあったその実家が懐かしくなったのでしょう。
昔と住所も変わっているでしょうに、記憶だけを頼りにぐるぐる。
こちらは案外早く見つかりました。
今は水道局になっていて、実は子供の頃連れてこられたことがあるんですよね。

ここからあそこまでが家だったとか、庭に池があり、家に階段が2つもあったとか、ロッキングチェアに座る父の膝の上で「吉四六さん」の話をよくしてくれただとか・・・
出てくる出てくる、昔の思い出に還って行くんですね。
ああ、この旅はこれが心の目的だったんだぁ。
亡くなった姉や、早くに亡くした両親との思い出に浸る旅。
心の中で逢えたでしょうね。

今こうして書いていると穏やかに振り返れますが、その時はナビのない車で土地勘のない場所をぐるぐる。
本当に疲れました。

あそこに親戚がいた、ここに誰が住んでいた、とひとしきり思い出に浸ると次は亡くなった姉の家に行きたいと言い出しました。
えっ、そここそ今は土地も売って他人の家になっているところです。

亡くなった伯母のことを3姉妹はとても尊敬し慕っていました。
一番下の叔母からすると母親がわりだったんですよね。
母たちの実家がなくなり、伯母の家が実家がわりで私たちが大分に行くとその伯母の家に泊まっていましたから、私も懐かしいことは懐かしいですよ。
でも今は他人の家です。
それでも行きたいと言う3姉妹に私もとことん付き合うことにしました。
住宅街の中にあるその家はそれこそ住所が変わっており、伯母が認知症になってからは行ってないので軽く10年以上前です。
いや、15年は経っているかも。
住所がスマホに入っていれば、ナビがあれば、簡単です。
しかもいつもは父の運転でしたから、辿々しい記憶を手繰り寄せ、坂の上で、ガードレールがあって、住宅街の端の方、福岡の叔母の記憶が頼りですが、全く反対側の住宅街を探していました💦
結局従姉妹に電話して聞いたのですが、初めからそうすればよいものを、従姉妹からすると何でとなるでしょうから自力で探そうとしていたわけです。
どれくらい回っていたでしょう?
明らかに不審者ですよ(笑)
軽自動車でおばさんが4人も乗ってぐるぐる・・・

伯母の家は洋風の新しい家になっていましたが、昔は庭が広く和風の玄関が立派でした。
やはり私も見つけた時は伯母たちと過ごした思い出が蘇ってきて懐かしく、時の流れを感じずにはいられませんでした。
3姉妹にとっては実家がわりの家でしたから、亡き伯母夫婦との思い出はこの旅より大きなものでしょう。

懐古の旅でした。

でも、その後更に仕事で会えなかった従兄弟の家に行きたいと言い出し、主人のいない家には行けないと流石の私も反対し、福岡への帰路に就いたのでした。

散々振り回された大分で、人には疲れた、大変だったと面白可笑しく、父にも告げ口しましたが(笑)、連れて来てあげてよかったと心から思いました。
大分に行くことは最後かもしれませんから・・・
それだけ母も歳を取ったと言うことです。
昔の記憶だけははっきりしているので(認知症ではありません)、この懐古の旅が姉妹を結び、いつの日か旅立つ時のお土産の一つになったことでしょう。

長々とお付き合い頂きありがとうございました。

今日はこの辺で・・・つづく